昭和40年9月19日 夜の御理解
先日の祝賀会の時に、あの、皆さんが、歌を出されまして、あの、堤さんが演台に立ってから、いつも、何回も歌を歌われたのですけれども、もう、それはもう、なんとも言えんその、何ちいうですかねえ、満面に笑みをたたえてから歌われるですよね。もう、実に愛嬌のある顔でその、それで一生懸命歌われるんです。で、隣の田中さんなんかは、もう、あの、大きな声を出されるので、苦しいのに違いがないのだけれど、それは、作った意味では違いがないですよね。それこそ満面に笑みをたたえて、歌を歌っておられますよね。それで、もう一つ、あの、苦しいときに、作る意味でも良いから、笑みをたたえておれれるようなおかげを頂きたいと思いますよね。また、これは、形の上で、御祈念なんかでもそうです。もう、今、十時からの御祈念があっておりますが、兎に角、一生懸命にあげるという、御祈念の奉唱なんですねえ。大祓いを一生懸命にあげることを、修行としておられるのですから。訳ですからもう、それこそもう、それこそ腹の底から、ジゴ声を出してから、もう、それを神様にお供えしとるようなものなのです。ですからもう、言うなら神様にもう、まるきり噛み付くようにしてもう、まあ、大祓いを上げているのですね。だから、あれは良いんですけれども、だからあの、態度だけはね、まあその、丹精なものにしとかんといかんと思うですね。それこそ、大祓い上げながら、噛み付くごと大祓い上げながら、顔だけは(笑い)笑みをたたえるちゃ、なかなか出来ませんでしょうけれども、歌を歌うとるごとにはいかんでしょうけれども、何とはなしに、こちらから拝んどってもです。それを見ておっても、何か知らんけれどこう、襟を正させるようなものが、なからなければいけん。私、この頃、地鎮祭のときに、皆が、総御祈念をしておるときに、その、写真を撮っているのを見せて頂いたんですけれども、網、私を先頭にしてから、あんまり、いい顔じゃないですね。もう、こうしてから、何か苦しいごたる顔してから、大祓い上げよるです。あれじゃ、神様に対しても相すまん。ですから、その点、あの、桑野先生なんかは、実に丹精ですねえ。もう、あの一生懸命の大祓いを上げられるのに、形を崩されないです。そして、何か知らんけれども、襟を正させるような態度ですね。ですから、これはあの、形のことですけれども、例えば、中身が出来るのと同時に、一つ、形も出来ていかなければ出来んのですよ。こらもう、本当に、もう神様に噛み付くような勢いで、大祓いを上げておる。それは良いけれども、例えばほんなら、顔までもその、苦虫を噛み潰した様に、くうしてからもう、歯を歯噛みしたごつしてするのは、あんまり見好いもんじゃないと、私は思うんですよね。だから、これなんかは、心がければ出来ることなんです。御祈念の態度でもそうです。もう、いろんな癖があってですね。もう、尻を、ぱーっと、こうしてですね、もう、(笑い)くりくり、くりくり尻をさせながら、拝む人があるんですよ。それかと思うと、御祈念するときに尻を、高々とこう上げてですね、いわゆる、逆門立ててから、拝む人があるですよ。その点、あの、久富重雄さんあたりなんかは、良いですね。あの、じいーっと、こう、御祈念の姿は。それから、もう、御祈念をするにも、顔をこう、手で抱えてから、もう、顔が重かというごたるふうでその、御祈念をする人があるですね。高橋正雄先生があんなふうでしたですね。頭に手を、こう、こうやって。こうして拝まれるですもんね。あれは、いいもんじゃないです。「ね」。特に、長々と御祈念をする時なんかは、必ず眠気が来るです。ここへ、これをこうやって、当てたら。「ね」。これを、私共は、御祈念を合掌して、その上に、例えば、指一本ぐらいは、こう、額口と手を、開けとかなければいかんと、神様が仰るです。これに、(手を叩きながら)手を、頭を、額口を、手に持っていったら、眠気が来るです。長々と御祈念をする時。「ね」。これはまあ、いわば、形のことなのですけれどもです。「ね」。あのう、自分の、大祓い上げているときの、もう、例えば、今日の、正ちゃんなんかは、ああして、いつも御祈念かなんかに来るとき、もう十五年も信心しよってから、ほんとやっぱ、本気でやらにゃ駄目だと思うんです。一緒にもう、心から上げんかっと、こう、おらびたいごたるその、気がするんですよ。あれじゃいかんです。もう、本当に、腹の底からです。中野さんが上げとるように、徹さんが上げとるように、若先生共が上げとりますようなもう、本当にこの、どん腹からですね、もう、どん腹から出すその、大祓いでなきゃいかんです。それば、段々、段々、一つのよい調子、リズムが出てまいりましてですね、むなーしさが出て来るようになるです。朗々として出て来るようになるです。だから、それをほんなら、大祓いは朗々としてこう出ておりましてもです、ほんなら、顔が、やっぱ苦虫噛み潰したような顔じゃいかんということです。「ね」。そういうときを写真に映されても、何とはなしに、やっぱ襟を正さしめるような態度というものは、やっぱ自分で、色々工夫しなければいけないと思うですね。勿論その、歌を一生懸命歌うときにですたいね、もう、どげん、声んよかったっちゃ、てんでこうしてから、歯噛みして歌う人がありますもん。「ね」。あのう、祭文語りなんかにゃ、あげんとがおりますよ。けど、やっぱこう、きつかところでん、ほんなこと、にこーっとしてですね、もう、ほんと楽に声がでよるようにして歌う人があるです。あれは良いです。その、田中さんなんかはそうですね。もうそれこそ、いつでもあげんしとんなさったらよかろち、思うごたるふうに思うです。本当ですよ。ところが、筒井さん達の歌いよりなさるとを見るなら、それこそ、愛嬌のこぼれるごたるその、笑顔でですね、歌われますでしょうが。それがもう、張り上げられるときほど、にこーっとこう、顔がですね。これはもう、何とんいえんです。だから、私共が、日常生活の上においてその、ま、生活の上においてもですたい。ああいう、例えば、もう一生懸命に苦しいときは、苦しいんですけれどもです、その時にはもう、作り笑顔でも良いからです、それこそ満面に笑みをたたえてから、その、苦しいことを乗り切れれるようになったら、有難いと思うですね。おかげを頂きますように。